サラエボ Part 2
引き続きサラエボで撮った写真を紹介して行きたいと思います。
今回は街中のいたるところに見られるボスニア紛争の傷跡をテーマにしたいと思います。
前回の記事で紹介したように、ボスニア・ヘルツェゴビナでは1992年から3年半にわたり紛争がありました。サラエボは首都ということもあり、戦闘が激しかったようです。
あちこちの建物に無数の銃弾の後が残っています。
建物によっては銃弾の後を埋めた後がはっきり見えます。
こちらの橋は普通の橋に見えますが、ここで紛争中色々な出来事がありました。
ここで1992年に紛争が始まった当初、女性二人が銃撃で殺された場所です。紛争の最初の犠牲者と言われています。
また、1995年に国連平和維持活動のフランス部隊が奇襲にあってセルビア勢力と戦闘になった場所です。
橋の真ん中に銃撃で亡くなった二人の記念碑があります。未だに花を添える人がいるようです。
こちらは旧市街にあるマーケット。紛争中に砲弾が直撃して多数の人が亡くなりました。
街中を離れてロープウェイに乗って山の上に行きました。頂上からサラエボ市内が一望できます。紛争中、この周辺にスナイパーが陣取り、道を行き交う人を狙撃したそうです。紛争中のサラエボで、約1万2千人が狙撃や砲弾で亡くなったようです。
この山は1984年のサラエボ冬季オリンピックの舞台にもなりました。ボブスレーのコースが未だにありましたが、放置されており荒れていました。今ではこのボブスレーのコースがハイキングコースになっています。
サラエボに平和が戻りましたが、目に見えるような傷跡があちこちにあるだけでなく、民族間のしこりもまだまだ残っているような印象でした。複雑な歴史を肌で感じられ、とても勉強になりました。